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010 とまりぎ

last update Последнее обновление: 2025-04-07 19:00:22

「ここだよ」

 大地の家から歩いて15分。青空〈そら〉がそう言って建物を指差した。

「あの……青空〈そら〉さん? 私が手伝うところって、喫茶店ですよね」

「そうだよ。ここが喫茶店」

「……」

 どう見ても保育園だ。そう海が思った。

 門をくぐると、車が何台か止められる舗装された運動場があり、その奥に3階建ての建物がそびえていた。

「廃園になった保育園を改装して作ったんだ」

 海の疑問に答えるように、大地がそう言って伸びをした。

「保育園を改装……」

「ああ。変わってるだろ? オーナーも変わった人だぞ」

 青空〈そら〉に続いて二人が建物に入っていく。すると奥の厨房で、慌ただしく動く男の姿が目に入った。

「浩正〈ひろまさ〉くーん、連れてきたよー」

 青空〈そら〉が声を上げると、男は笑顔で手を上げ、三人に近付いてきた。

「おかえりなさい、青空〈そら〉さん。大地くんも、休みなのにありがとうございます」

「お疲れ様です浩正さん。今日は何名の予定ですか」

「10名様の予定です。名簿、そこに貼ってますので」

「ええっと、これか……なるほど。外は3名ですね」

 そう言うと、大地は店内にあるテーブルを抱えて外に運び出した。

「大地くん、そちらは任せていいですか」

「大丈夫です。全部やっときますから」

「ありがとうございます」

 そう言って浩正と呼ばれた男が帽子を脱ぎ、海に視線を向けた。

「それで青空〈そら〉さん、こちらの方は」

「この子は星川海ちゃん。訳あって昨日から大地のところに住んでるらしいの。折角だから連れてきちゃった」

「相変わらずですね、青空〈そら〉さんは」

 浩正が穏やかに微笑む。

「海ちゃん、この人がここ、喫茶『とまりぎ』のオーナー、音羽浩正〈おとわ・ひろまさ〉くん。私みたいに浩正くんって呼んでいいからね」

「は、はい……」

「はははっ、青空

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    「いらっしゃいませ!」 喫茶とまりぎで。  海が元気よく声を上げた。「あらあら海ちゃん、今日も元気いっぱいね」「あはははっ、ありがとうございます濱田さん」「ほんと、海ちゃんが来てから、ここの雰囲気が明るくなったわ」「そんなそんな。褒めても何も出ないですよー」 照れくさそうに笑う海。  そんな彼女に微笑みながら、浩正〈ひろまさ〉が濱田に声をかける。「いらっしゃいませ濱田さん。スタッフを褒めてもらって嬉しい限りなのですが……前は暗かったですか」「ああ浩正くん。ごめんなさいね、そういう意味じゃないのよ。ここはいつ来ても和やかで楽しくて、私たちにとって憩の場所なんだから。海ちゃんが来てくれて、もっともっと楽しい場所になったってことよ」「はははっ、ありがとうございます」「海ちゃんのおかげで青空〈そら〉ちゃんも楽しそうだし。ほんと、いい人が入ってくれてよかったわ」「そんなー。濱田さん、褒めすぎですってばー」「うふふふっ。ほんとのことだから、照れなくても大丈夫よ」 客と海のやり取りをパントリーで眺めながら、誰に話すともなく大地がつぶやいた。「なんだよこの状況……」 * * * 大地と海が過去を打ち明けあったあの時、海は言った。  あんたを幸せにしてみせると。  その言葉にどんな意味が込められているのか、その時の大地には分からなかった。 全てに絶望し、人を信じることを放棄した自分には、この世界で生きる資格がない。  そして自分にとって最も大切な存在、青空〈そら〉の幸せの最たる障害。それが自身であり、一刻も早く取り除きたいと思っていた。そして事実、行動を起こした。  しかしその時、海と出会ってしまった。 海の死を見届けるまで、俺は死なない。  彼女と交わした約束を、大地は後悔していた。  当の海が、まさかここから復活するとは思ってもなかった。  確かに

  • 青空と海と大地ーそらとうみとだいちー   020 矛盾だらけの決意

     海のことも信じていない。 そう言ってから、部屋の空気が重くなったと思った。「……」 大地は頭を掻き、小さく息を吐いた。「俺たちの話はこんなところだ」「うん……」「でもまあ、聞いたからと言って、青空姉〈そらねえ〉に変な気を使わないでやってくれ。そういうの、青空姉〈そらねえ〉はすぐ分かるから」「……分かった」「浩正〈ひろまさ〉さんにもな」「どういうこと? 今の話に浩正さん、全然出てこなかったけど」「浩正さんは、青空姉〈そらねえ〉の婚約者だ」「そうなんだ……」 確かに二人の距離は、雇い雇われの関係よりずっと親密だった。そう思い納得した。「浩正さんは全部知ってる。でも浩正さんにとって、それは大した問題じゃないんだ。 それは全部過去の話。僕が知りたいのは、これから青空〈そら〉さんがどんな人生を歩みたいのか、それだけなんですって」「……」「どれだけ幸せな過去を持っていても。どれだけ立派な人生を歩んでいても。これから堕ちていく人もたくさんいます。僕にとって過去というのは、その程度のものなんですって笑ってた。 どれだけ辛い過去を背負っていたとしても、それでも前を向き、幸せを求めて進もうとしてる青空〈そら〉さんのことが好きなんですって」 その言葉に海が微笑む。 そして思った。 浩正さんって、裕司〈ゆうじ〉とちょっと似てるかも、と。「青空姉〈そらねえ〉もそんな浩正さんのことが好きで、いずれ結婚したいと思ってる。何より浩正さんの夢を応援したい、一緒に叶えたいと思ってる」「いつかあの場所で、介護施設を立ち上げるって夢?」「ああ。今みたいな協力じゃなく、自分が理想とする施設を立ち上げたいって夢だ」「浩正さんなら出来ると思う」「俺もそう思う。まあ、

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